2023年01月08日
【茶道具の買取/福岡市・骨董品】
こんにちは。骨董品買取の福岡玄燈舎です。
今回の骨董品買取は茶道具で福岡市西区にお伺いいたしました。
とても良い蒔絵の入った棗で「柳庵」の銘がありました。

初瀬川柳庵(はつせがわりゅうあん)は京都の名工として知られる漆芸家で、本願寺の用度品も制作しました。
表千家十三世家元・即中斎とは特に親しい関係でした。そのため、即中斎の好み物の制作をよくしており、即中斎の花押が入ったものや書付の道具が存在しています。
その仕事の出来栄えは即中斎が認めただけあり、どれも非常に美しく中古市場でも高値で取引されている作品が多数存在します。
初瀬川柳庵(はつせがわ りゅうあん)
漆芸家。京都市中京区。1791年創業。本願寺の用度品を制作し、明治に入りタンスなどを製造。先代より千家と深い縁が出来、茶道具漆器を制作する。当代初瀬川柳庵(本名、博紀)は1948年生まれ。
なお無盡宗左 即中斎は明治・大正・昭和初期と激動の時代の中で生まれて成長、茶道発展に努めた人物です。
同氏が十三代目家元を襲名した同年には日中戦争があり、さらに翌々年である1939年(昭和14年)には第二次世界大戦が勃発。社会的には非常に不安定な時期であり、茶の湯をたしなめる状況ではありませんでした。
しかし、無盡宗左 即中斎は諦めることなく、戦中の1942年(昭和17年)に「表千家同門会」を設立。全国各地の同門者を統合・結束します。さらに1949年(昭和24年)、表千家を「財団法人不審庵」として財団法人化しました。1975年(昭和50年)には同門会を社団法人化するなど、茶道発展を目指し、表千家の地位向上に努めます。
法人化などの形式的なものばかりではなく、同氏は自らの足で茶の湯の周知活動を行います。戦後復興の意味も込めて、無盡宗左 即中斎は全国各地の寺社仏閣をめぐり、積極的に献茶を行いました。もっとも多いときは、半年に100カ所以上めぐるなど、そのバイタリティに驚かされます。
このように、無盡宗左 即中斎は、激動の時代において低迷していた茶道を復興させ、表千家の名を世に知らしめるため尽力しました。茶道界に残した数々の功績から、「現代茶道の祖」とたたえる人もいます
骨董品買取の福岡玄燈舎では棗など茶道具、骨董品を買取致します。お見積りだけでも構いませんのでお問い合わせください。
福岡市内県内は無料出張査定致します
今回の骨董品買取は茶道具で福岡市西区にお伺いいたしました。
とても良い蒔絵の入った棗で「柳庵」の銘がありました。

初瀬川柳庵(はつせがわりゅうあん)は京都の名工として知られる漆芸家で、本願寺の用度品も制作しました。
表千家十三世家元・即中斎とは特に親しい関係でした。そのため、即中斎の好み物の制作をよくしており、即中斎の花押が入ったものや書付の道具が存在しています。
その仕事の出来栄えは即中斎が認めただけあり、どれも非常に美しく中古市場でも高値で取引されている作品が多数存在します。
初瀬川柳庵(はつせがわ りゅうあん)
漆芸家。京都市中京区。1791年創業。本願寺の用度品を制作し、明治に入りタンスなどを製造。先代より千家と深い縁が出来、茶道具漆器を制作する。当代初瀬川柳庵(本名、博紀)は1948年生まれ。
なお無盡宗左 即中斎は明治・大正・昭和初期と激動の時代の中で生まれて成長、茶道発展に努めた人物です。
同氏が十三代目家元を襲名した同年には日中戦争があり、さらに翌々年である1939年(昭和14年)には第二次世界大戦が勃発。社会的には非常に不安定な時期であり、茶の湯をたしなめる状況ではありませんでした。
しかし、無盡宗左 即中斎は諦めることなく、戦中の1942年(昭和17年)に「表千家同門会」を設立。全国各地の同門者を統合・結束します。さらに1949年(昭和24年)、表千家を「財団法人不審庵」として財団法人化しました。1975年(昭和50年)には同門会を社団法人化するなど、茶道発展を目指し、表千家の地位向上に努めます。
法人化などの形式的なものばかりではなく、同氏は自らの足で茶の湯の周知活動を行います。戦後復興の意味も込めて、無盡宗左 即中斎は全国各地の寺社仏閣をめぐり、積極的に献茶を行いました。もっとも多いときは、半年に100カ所以上めぐるなど、そのバイタリティに驚かされます。
このように、無盡宗左 即中斎は、激動の時代において低迷していた茶道を復興させ、表千家の名を世に知らしめるため尽力しました。茶道界に残した数々の功績から、「現代茶道の祖」とたたえる人もいます
骨董品買取の福岡玄燈舎では棗など茶道具、骨董品を買取致します。お見積りだけでも構いませんのでお問い合わせください。
福岡市内県内は無料出張査定致します